でも、オレは決めたんだ。
オレにはカイザーなしの幸せなんてありえない。
オレは目を伏せ、下を向いたまま答えた。

「無理だ・・・」
「何でだよ」
「オレは、あの人なしでは生きていけない」
「・・・どうして?」



『どうして・・・?』



・・・。


「どうしても・・・だ」

理由なんて・・・ない。
カイザーが傍にいるだけで・・・オレに微笑んでくれるだけで・・・それだけで・・・。
・・・オレは・・・、オレは・・・離れる事なんて出来ない。

「話はそれだけか?・・・じゃあ、オレは帰る」

席を立とうとするオレの腕を掴み、ヨハンが懸命に引き止める。

「十代!オレの目を見てちゃんと答えてくれ!」

・・・ヨハン・・・。


・・・。


「ヨハン、オレは、大丈夫だから・・・」

オレは目を合わせずに、ヨハンの握る腕を振りほどいて喫茶店を後にしようとした。

「ありがとうございましたー」

喫茶店を出る時、店員の挨拶の奥でヨハンの唸るように呟く声が・・・オレには届いていた。

「・・・何でだよ・・・」

オレは振り向くことなくカイザーのマンションへ歩みを進めた・・・。














カイザーと過ごす二人だけの空間。
この部屋で暮らし始めてから一ヶ月・・・。
新しい『仕事』以外は怖いくらいに穏やかな時間を過ごしている。
甘く、安らげる毎日にこの時が永遠に続けばいいと・・・願わずにはいられない。
今日もカイザーとオレは何をする訳でもなく二人で穏やかな時間に浸っていた。
ダブルのベッドに二人で寝転び、見つめ合いながら、他愛のない会話を交わす。

「・・・それにしても、何故十代は一ヶ月も一緒にいて、俺の名前をちゃんと呼んでくれないんだ?行為の最中にまでお前が俺の事を『カイザー』と呼ぶのが気になって仕方ない」

オレを見つめながらカイザーは突然、妙な質問をしてきた。
確かに・・・オレは未だに『カイザー』と呼んでいる。
でも、行為の最中にまでと露骨な表現で聞いてくるカイザーに思わず照れて笑ってしまった。

「何て・・・、呼ばれたいんだよ?カイザーは」

カイザーは上目遣いに少し考えて希望を出してくる。

「そうだな・・・・・・。とりあえず、恋人らしく下の名前で呼んで欲しい」

うっ!?
希望を聞いては、みたものの・・・下の名前・・・って・・・。

「下の名前・・・か?」
「あぁ。『亮』と呼んでくれないか」

亮・・・。
りょう・・・。
リョウ・・・。
カイザーを『亮』と呼ぶ自分の姿を思い浮かべてみた瞬間、体中の血液が顔に目掛けて逆流してきた。

「呼んで・・・くれないのか?」

想像しただけで顔から火が出そうなほど頬が熱い。

「いや、そういう訳じゃないんだけど・・・」

カイザーを『亮』と。
カイザーを『りょう』と。
カイザーを『リョウ』と。
呼んでみたいような・・・恐れ多いような・・・。

「恥ずかしいのか?」

カイザーに悪戯っぽい視線を向けられ、正直に頷く。

「そうだよ・・・」

まだ、やっぱり恥ずかしい・・・。

「可愛いな。十代、お前は本当に可愛い」
「可愛いだなんて、男みたいなオレには相応しくないから使うなよな」

照れて抵抗してみるもカイザーを喜ばせるだけだった。

「そういう反応が可愛いんだ」

カイザーは急に体を起こし、上からオレを覗き込んで強行手段に出てきた。

「十代、呼ぶんだ。俺の名前を」
「イヤだ」
「いいじゃないか。たかが名前だ」
「ヤだ!」

カイザーの強行手段はそれなりに鋭くて・・・さすがに屈しようかと思い始めた頃、突然部屋の電話が鳴った。

「・・・はぁ。電話か」

カイザーは意気消沈したのかため息を吐くと、名残惜しそうにオレから離れて電話へと向かった。
助かっちゃった・・・。


・・・。


ちぇっ・・・。
ホッとする思いとなんとなく残念なような・・・複雑な気持ちで電話を受けるカイザーの様子を眺めていた。

「はい。・・・あぁ、アンタか」

アンタ・・・?
『仕事』・・・の電話?
カイザーの受け答えに思わず聞き耳を立てる。
静かに様子を窺っていると何かがおかしい・・・。
カイザーの声が徐々に激昂していく。

「あぁ。・・・んん・・・何っ?!それでは話が違う!待てっ!!」

えっ・・・何かあったのか?

「くそ、アイツ!ふざけた事を言って!」

カイザーは憮然とした表情で受話器を叩き付けた。
さっきまでとは明らかに異なる険しい表情・・・。

「カイザー・・・?」

心配になって声を掛けると、カイザーはオレに振り向き少し表情を和らげた。
オレに対して表情を繕っている・・・?
カイザーの優しさが、オレに不安を募らせる。
何故、繕う必要が・・・。

「・・・十代。大丈夫だ、何でもない」

言葉とは裏腹に、カイザーの表情は硬い。
嘘を吐いているのは手に取るように分かる。

「でも・・・。今の電話は?」

心配で黙ってはいられない。
電話の内容を訪ねるとカイザーは首を振りながらオレの元へと近付き・・・

「大した事じゃない。・・・少し出掛けてくる」

そう言うと、キスをしてオレの口を塞いだ・・・。

「んッ・・・」

この生活を始めてから何度となく繰り返してきたキス・・・。
初めて違和感を残した。

「行って来る」

キスを終えるとカイザーは目を伏せて足早に部屋を後にした。
カイザーの背中を見送りながら、抑えきれない不安がオレを締め付ける。
カイザーが出て行った玄関をしばらく眺めながら違和感を残す唇がカイザーの名を呟く・・・。

「カイザー・・・」















「・・・んっ、んん?・・・朝?」

カイザーの帰りをリビングで待っているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
窓から差し込む朝日で目を覚ましたオレはカイザーが戻って来ているか辺りを見渡したが・・・

「カイザー・・・。まだ帰って来て・・・ない」

時計の秒針が時を刻む音だけ鳴り響く。
普段は気にも留めない些細な音にやけに不安を駆り立てられる。


・・・。


あの電話・・・一体、何だったんだろう・・・?



・・・プルルル―――



電話・・・。

『・・・カイザー?』

カイザーから・・・カイザーからの連絡であって欲しい。
オレは慌てて電話機へと向かい受話器を取った。

「はいっ、もしもし!」
『丸藤亮は死んだよ』
「・・・・・・え?」

不気味な言葉を残して電話は一方的に切られた。
得体の知れない変質化された声。
ボイスチェンジャーか何かで加工された・・・たぶん、男の声だった。

「カイザーが・・・、死んだ?」

普段であれば、悪戯電話として気に留めはしない。
だが、何故か今のオレには妙に信憑性を感じずには、いられず・・・呆然としながら、静かに受話器を戻す。



・・・プルルル―――



「っ!・・・・・・・・・」

受話器を置くなり、すぐに鳴り響くコール音。
今、電話を切った男から・・・?
不気味さに受話器に伸ばす手が竦む。

「・・・・・・はい」

今度は慎重に、警戒しながら受話器を受ける・・・。

『警察ですが・・・遊城さんという方がいらっしゃったら、お願いしたいのですが』

警察!?
カイザーの自宅の電話に警察が・・・。
オレ宛・・・?
異常な程に高まる不安と緊張。
息が吸えないくらいに心臓の鼓動が激しく高鳴る・・・。

「・・・オレですけど」

全身から声を絞り出して自分である事を伝えた。
オレとは対照的に、警察と名乗る男は事務的に話し出してきた。

『先程・・・、丸藤亮さんと思われる人がビルから飛び降りました。お手数ですが遺体の確認を、お願い出来ますか?』

恐れていた不安を、現実として耳にする。

「嘘だ!カイザーが、飛び降りなんて・・・」

カイザーが飛び降りなんてそんな事、ある筈がない。
取り乱すオレに対して受話器の奥から事務的な声が、淡々と言葉を重ねる。

『・・・その確認の為にも、ご足労願えませんでしょうか?』

ありえない・・・カイザーが飛び降りなんて絶対にありえない。


・・・。


ありえないけど・・・、遺体を確認して間違いだと証明しない事にはこの不安は収まり切らない。

「わかりました。すぐ、行きます」

オレは力なく、受話器を置くと天を仰いだ・・・。

「そんな・・・・・・」